愛国心は必要か。

例えば、小学校6年間ずっと同じクラスだった人と、1度も同じクラスになったことのない人と、どちらに親しみを感じるかと言えば、前者だと思う。

自分が行ったことのない国より、生まれ育った国に親しみを感じるのは当然のことだろう。

オリンピックなどで自国の代表が勝利すれば、嬉しい気持ちにもなるだろう。

もしかしたら、その代表を介して能力の優位を示せたという、種族としての満足感があるのかもしれない。

しかし、愛国心は危険性をはらんでいる。

他国に対する偏見や嫉妬、敵対心を生むことがあるからだ。

優れた能力を発揮し、それを示すことは、生物にとって必要だと思われる成長や発展に繋がる。

しかし、相手が劣っていると卑下したり、優位であることを妬んだりすることは不必要であり、害悪である。

もし仮に、そういう負の感情が生まれたとしても、それを表明するべきではない。

また、愛国心と呼ばれるもの自体に疑問を感じる。

身近な人間を愛することはあっても、名前も知らない会ったこともない人間を愛することは難しい。

同じ国で育っていても全く価値観の合わない人間も、また愛することは難しい。

では、そういう人たちを多く含んだ集合としての国を愛することはできるのだろうか。

たとえ愛していると感じるとしても、それは自分の知っている国、自分の周りにある国の一部ではないだろうか。

それと、仲の良い知り合いの外国人を愛することに違いはあるのだろうか。

持て余した感情を、いつの間にか愛国心と混同し、それを奨励するような雰囲気に飲み込まれていると疑う余地はないだろうか。

人は、愛とか情熱とか、そういう類いのものに美徳を感じる。

逆を言えば、そういうものに弱い。

だから、時として判断を誤る。

規模が大きく、身近と言える範囲を越えた事柄は、冷静に考えなければならない。

自分の知り得る範疇の小ささを理解しておかなければならない。

そして、国を愛する前に、もっと身近なものを愛し、情熱を注ぎ、関係を築いていけば良いのだと思う。

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