冒頭集。

いつか完成するかもしれない物語の冒頭部分だけを載せます。

今日、御老人にスムーズに席を譲ることができた。
でも、何度も御礼をおっしゃるものだから、きっと私の耳は朱くなっていたに違いない。

神楽橋の向こう側に停まった見慣れない車から降りてきたのは、死んだはずの村瀬だった。
呑気な顔をして、こちらに手を大きく振りながら近付いてくる。驚きつつも呆れて見ていると、運転席から黒いスーツを着た男が降りてきた。
その男の顔を見た瞬間、忘れていた記憶が閃光のようなものを伴って瞼の奥に甦った。

時間軸の歪んだファンタジー映画のような夢を見ていたような気がするが、ほとんど何も覚えていない。
どれくらい眠ったのだろうか。
窓から入ってくる色が殺風景な部屋を満たしていた。

私は日本人である。
結局生きるために仕事をし、仕事をするために生きているようなもので、いつしかそのことに違和感も持たなくなっていた。
仕事をするために東京に家を借りて住んだ。
住みたい街に住んで、そこで何かやりたいことを探すなどという発想は全くなかった。
あの日、ストックホルムに吹いた風が、この体を包むまでは。

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