新党。

未完成なものが受け入れられにくくなっているのかもしない。変化や成長の過程を見守ってやることができないのだろう。例えばそれが、自分の子供だったりもする。それはシビアな目というのではなく、余裕がないだけなのだろう。じっくり煮込んで、中まで味を染み込ませることが出来ないようだ。
溢れる情報は人々の上を通り過ぎて行く。それを吟味する間もなく、表面的に味わって、標準的なものを評価して、無難にやり過ごす。でも、一定の評価をしながらも、感覚的には気付いているのだろう。何度も味わいたくなるものじゃないことを。だから、必然的にサイクルが早くなっている。押し流されて、考えることをしなくなったのだ。流れに抗うだけの余裕がないのだろう。人の好みが大きく変わってしまったわけではなく、まだ確かな味覚は残っているはずなのに、手軽なもので済ませているのだろう。
必要なものの一つは、教育だろう。権力的でなく、権威的に。即席でなく、熟成させるように。その対象は、子供だけではなく、考えることをしなくなった人。深く味わうことの楽しさを教え導くように。
いがなくなるまで、杭を打ち、食いたくなるような逸品を。

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