名前。

名付け行為によって、あるものが他のものとは区別され、そのものとして規定される。
名前をつけた瞬間に、森羅万象の中の一部分が切り取られ、その一片が浮かびあがる。
確か、こんな回りくどい説明だったはずだ。
わかるような、わからないような、とにかく知的好奇心を刺激する授業をしてくれる先生に、中学校で出会った。
この曖昧な知識を今、論理的というよりも、主観的に捉えてみよう。
ロロという名前。
漢字なのかカタカナなのか、非常に読みにくい名前。
初見の人のほとんどが半信半疑で呼ぶ名前。
ただ、その名前が指し示すものは、僕がお笑い芸人として活動していたときのコンビであって、他の何ものでもない。
活動を終了した今でも、世の中の片隅に存在していた事実は継続している。
全ての事象が載っている事典があるとすれば、ロロというコンビもそこには記載されている。
当然そこには各個人の名前も載っていて、ロロとは関連付けされている。
すなわち、ある名前を目にすれば、この事典を通じて、それに関連するものが数珠繋ぎ的に認知されるのである。
例えば、もし僕個人の名前が世間に広く知られるようなことがあった場合には、自ずとロロというものの認知度は高まる。
そうすると、相方の存在にも人の目は向くことになる。
この論理が僕に一つの道筋を与えてくれた。
僕は、ロロという名前を消去しない。
何が言いたいのかが釈然としない内容だとわかっているが、そういう性であることを理解していただけることを願う。

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