父の存在。

僕は今、歌手を夢見て、毎日路上ライブを行っている。
応援してくれる人が少しずつ増えてきていることが実感でき、励みにはなっているが、将来への不安は拭いきれない。
毎日が葛藤だ。
実家の父は、僕が歌手を目指して家を飛び出したときから、僕の夢に猛反対している。
その気持ちは僕なりに理解しているつもりだ。
言わば、花嫁の父、そういうことなのだろう。
そんな無鉄砲な花嫁のような僕を支えてくれているのが、東京の父だ。
東京の父は、僕が歌手になることを心から願い、応援してくれている。
東京の父は居酒屋を経営しているが、あまりうまくいっていないようで、どうやら一発当てたいらしい。
僕が歌手として有名になったら、テレビで紹介されたりして、店が繁盛すると思っているのだろう。
僕はそのことについて何も異論はない。
それが東京の父なのだ。
上京して間もなくのころ、歌手になろうと必死にもがいていた僕を、時に厳しく、時に優しく、いつも気にかけてくれていた人がいた。
それが前東京の父だった。
しばらくして、前東京の父が第二の人生を求めてアフリカに行ってしまった後、心にぽっかりと穴があいてしまったような気分だった僕は、前東京の父に驚くほど見た目がそっくりな現東京の父に出会い、その偶然に感謝した。
だから、現東京の父がどんな人であっても関係ないのだ。
そんな現東京の父をあまりよく思っていないのが、妻の父、つまり義理の父だ。
何を隠そう、義理の父と前東京の父は腹違いの兄弟で、つまり二人の父は同じ父で、僕からすれば父の父ということになる。
そして、現東京の父と相性が悪い父がもう一人いる。
それは架空の父だ。
架空の父は、生真面目な性格で、とても正義感に溢れた人なのだ。
架空の父が何の仕事をしているか、未設定ではあるが、堅実な仕事をしているに違いない。
これも想像でしかないが、ウルトラの父とは気が合うだろう。
僕が小学生だったころ、友達の家に遊びに行った際に、「濱島の父です。」と丁寧に自己紹介してくれたときのことが何故か強い記憶として残っているせいで、架空の父は濱島の父を思い出させる。
先月、生まれて初めて新潟に行ったのだが、僕は財布をなくしてしまった。
見知らぬ土地で途方に暮れている僕に声をかけて助けてくれた人を、北陸の父と呼ぶのか、上越の父と呼ぶのか、どうするべきかを架空の父に相談したら、束の間の父と呼んでみればいいのではないかと助言を与えてくれた。
さすが架空の父だ。
発明の母が「必要」であるなら、発明の父が何であるのかということはさておき、こんな今の僕を見て、自由民権運動の父は何と言うだろう。
とにかく、父の存在というものは大きいものなのだ。

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