思うことを綴る時。

クレームを言われないように、弱者保護に偏りすぎた発言。訳の分からんとこから論理付けた詭弁的なコメント。受け手の判断を待たずに、一部の人々を煽動してしまっている。何を言おうが自由だが、何の為に、誰の為にやってんの?間違った方向に導いたときに責任とれんの?事実だけを報道すれば良いと思うのだ。
ありのままに生きること、それもいいだろう。人間なんてこんなものだと割り切って生きること、それもいいだろう。でも、高潔でありたい、高尚でありたい、そういう理想を捨て切れない。
 
誤解を恐れず言おう。歴史という教科をなくしてみたらどうだろうか。お互いに、あの時のことは水に流せないだろうか。
 
こんなに素晴らしい映画やドラマ、音楽が溢れているのに、世界はまだ。
 
何故生きるのか。本能的には種を保存するため。優れたものを残そうと切磋琢磨する。そこには自ずと勝ち負けが生まれる。理性的には与えられた尊い命を全うするため。満足すること。
 
『誰が総理大臣になっても同じだ。』なんて、誰でも簡単に言いそうなことを、口にするのはやめよう。それこそ、『あなたの代わりは誰でもいい。』って言われてしまうから。
 
なるようになると思っていても、じっとしていられなくて、今の状況を打破したくて、でも特別何かできるわけでもなくて、日常の小さな小さな1コマを変えてみれば、隣の黒が白に変わるようにと、足を前に出してみるのです。
ちゃんとしていたら報われるって考え方が染み付いている理由は、「いい子にしてたら御褒美がもらえる」って、そうやって育てられたからなんかな。
 
何かをしようとしたときに、らしくないと言われることをしたとしても、それをしようとした自分も、そのらしさなんじゃないか。
 
最初は嫌だったこともいつかは慣れてしまうことを否定しながら、もしかしたら今の自分も、知らぬ間に何かに慣れてしまっているのではないかと思うと嫌になる。
 
日本人は比較的に穏健だと言えるだろうし、それが長所とも言えるけれど、許すなら徹底的に許すべきで、許容しながらも、内に鬱積するものを抱えているから、それが自分自身を苦しめて、爆発しそうになる。
 
もっと考えよう。“Don’t think. Feel.”に都合良く甘えるな。“Think and Feel”その繰り返し。
 
踊る大捜査線があんなにも人気があるのに、青島になろうとする人はほとんどいない。ドラマを観て、青島になった気でいたり、青島に託していたりする。僕はそうなりたくない。
 
『なんやねん、コイツ。』『アホちゃうか。』『やりたい放題やん。』と、笑いながら言われる人に僕はなりたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です