数字嫌いの悲劇。

左目の下に下唇くらいの大きさの傷のある男と、刃渡りがショートボブぐらいの長さの包丁を手にした長髪の女が、夜明け前のマンションの入口で対峙している。
女は、小学校に入学した子供が中学校を卒業するのにかかる年月ぐらい前から、男を捜していた。
男は、各停電車で前の前の前の駅くらいからの時間、トイレに行くのを我慢している。
かつて、女の父親から札幌市民全員にチロルチョコを配布できるぐらいの金を騙し取った結果、自殺へと追いやった男を捜し、女は父親を失った悲しみを胸に人気のある小型犬くらいの金額の月給で派遣社員として働きながら復讐の機会を窺っていたが、ようやく男の居場所を突き止めた。
男は呑んだ帰りで酒に酔い、女のことを紙パック入りのフレーバーティーの賞味期限くらい前にガールズバーで出会った女だと勘違いしている。
男『あれ、ここに住んでるの?』
女『…。』
男『虹で言うなら、このエントランスを赤色として、青色の層にあたる階に俺は住んでるんだけど。』
女『随分まどろっこしい言い方ね。もっとシンプルに、サイコロの赤い点がある面の裏側の黒い点の分だけ上の階って言えばいいじゃない。』
男『…ん?』
女『まぁ、いいわ。あなたは私を誰かと勘違いしているみたいだけど、私は小学校に入学した子供が中学校を卒業するのにかかる年月ぐらい前のこと、少しも忘れることはなかった。』
男『…え?』
女『思い出せなくてもいいわ。虹よりもっと上の階に送ってあげる。今すぐ、ここで。』
女は包丁で男の腹部を深く刺したつもりだったが、冬空の下でちょっと長めの映画を観られるぐらいの時間待ち伏せをしていたせいで、かじかんだ手に握力はなかった。
男のたるんだ腹に弾かれるように包丁を落とし、致命傷どころか、自動販売機の硬貨の投入口ぐらいの刺し傷をつけることしかできなかった。
女はその場に泣き崩れ、男は着ていた洋服に血が滲んでいくのと同時に、ジーンズがじんわりと温かく湿っていくのを感じていた。
男『…えぇ……っと……誰?』
女は、傘を持って出歩くべきか悩む降水確率くらいの体脂肪を身につけた、この男のことを父親の仇と勘違いをしていた。
この男と外見はかなり似ていたが、女の言った通り、本当の仇はそのマンションの坂崎・櫻井・高見沢の順番を並び替えたときにできるバリエーションの分だけ上がった階、つまり虹で言うところの藍色にあたる階に住む男だった。

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