名も実もない話。

6年間ひとつ屋根の下で暮らしてきた甲斐性なしの彼との煮えきらない関係を解消したのは、言葉では説明できない、感覚的なところでは相性が良かった私たちも、将来のことに関しては、意見の間隔が縮まることはなかったからで、ただ、自分で決めたこととはいえ、彼以外の男をほとんど知らない私は、その別れのせいで自分でも意外なほどに何も手につかず、ただ抜け殻のように、夜には月を観賞しては感傷に浸り、泣きながら眠りにつく日がしばらく続き、そんな全身傷だらけの私も、気持ちを新たに前進し始めた頃、この歳で結婚していない娘がいることをいささか体裁が悪いと考えていた父は、縁談の場に強引に私を連れていこうとすることもあったが、良くも悪くも父に似て頑固な私はGoin’ my wayで、そんな話は断っていたのだが、ある休日、天気が一変し、傘を持たずに出掛けていた私が雨宿りをしていると、もうすっかり忘れてしまっていた昔のあだ名で私を呼ぶ声がして、今思えば、これが私の転機となったのだが、実家の近くに住んでいる大正時代から続く華道の一流派の後継者である幼馴染みは、元彼とは対照的に仕事一筋で生きてきたらしく、私に声をかけたものの、あとに続く言葉もなく、ただ傘を差し出して立っていて、その姿はそういう対象ではなかった頼りない過去の彼とは少し違っていて、懐かしさの中に新鮮な感情を湧きおこらせたが、同棲生活に幕を下ろし、実家に戻ってからは、同性の友人とばかり会い、それが心地良くなっていたこともあり、その彼の好意にも私は少し逃げ腰になっていると、彼はそっと傘の下へと引き寄せ、家まで送ってくれたのだか、家に着く頃には彼の左肩はびっしょり濡れていて、そんな彼の無器用でも優しい行為にすっかり心を掴まれてしまい、今まで互いに聞くこともしなかったメールアドレスを交換し、そんな高揚した気持ちを隠すこともできずに家に帰ると、私の顔が紅葉したように赤らんでいることに気付いた父が心配そうに私を顔を覗いていたので、彼に好感を持った経緯を話すと、急に不機嫌になってしまい、それを見て思い出したことなのだが、実は彼が最も敬意をはらう相手である彼の師匠である彼の父親は、私の父とは昔から仲が悪く、そのことが私と彼の関係において今後の支障となりかねないので、私は彼との交際を父には内緒のまま始め、この歳で親に言わずに付き合うことに煩わしさもあったのだが、彼との思い出の懐かしさとあいまって、中学生のような純粋で淡い恋に、いつの間にか大人になってしまっていた私は心が洗われるような気さえしながら、彼との交際を順調に進める中、それまで関心のなかった彼の仕事である華道に興味を持つようになり、彼のひたむきさに感心し、彼が丹誠込めて作った作品の端正な仕上がりに魅了され、また、海外から渡来した新たな技法を取り入れることに何の躊躇もなくtryし、他の華道家から批判される中でも試行錯誤しながら、より美しいものを求める上昇志向の強い彼の姿勢に驚き、私の記憶にある彼の姿は半面でしかなかったことに気付かされ、どんどん彼に惹かれていく自分と、その反面、彼に比べて、何の取り柄もない自分がそこには居て、不安になり始めた私は何か一つ誇れるものを身につけようと、彼のもの作り精神に感化されたこともあって、陶芸を習い始め、すっかりその魅力に取り憑かれた頃、父には看過できない私たちの関係は、彼の花が水を溜めた私の花瓶に強く優しく生けられるが如く親密な関係になり、結婚を考えるに至ったところで、全てを父に打ち明けると、予知していた通りに反対をされたのだが、それでもきっと父に認めてもらえる余地はあるはずと、日本の伝統的な華道にフラワーアレンジメントの要素を取り入れたイベントに父を招待し、彼が出演するshow timeが始まると、最初は背もたれにしっかりとついていた父の背中は、少しづつ座席から離れ、最後の作品が完成した時には、父は周囲の観客と共に歓声をあげるほどで、彼の感性や人柄が伝わった結果として、私たち二人の結婚を認めてくれた父が、良い家庭を築く過程で、最も肝要なことは、寛容な心で互いを思い遣ることだと教えてくれたので、その言葉を大切に、私たちは今も二人で幸せに暮らしている。

こんな話、どうおん?

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