ドロロ。

彼は見た。純心無垢な子供には見えず、心が荒んでしまった大人の前に突然姿を現すと言われている幻の生き物ドロロ。
その日、彼は会社帰りにコンビニでいつものように週刊誌を立ち読みし、缶ビール2本とチーズかまぼこを買って、自宅に向かっていたのだが、いつもなら横を通り過ぎるだけの公園にふと導かれるように入っていった。公園に人影はなく、昼間の喧騒は赤い子供用のスコップが置き去りにされた砂場に吸い込まれてしまったように静かだった。彼はベンチに座り、さっき買ったビールをじっくりと味わうようにゴクリと一口飲んだ。疲れた体の隅々に広がっていくような感覚の中、ふと前を見ると、そこには紺色のスラックスに薄いグレーのシャツとループタイ、パーマともクセ毛とも言えない髪型に、少し色のついた眼鏡をかけ、出っ張ったお腹を下から支えるようにベルトを巻いた中年男性が立っていた。ちょうどその前日に、都市伝説と言われるようなものがテレビで放送されているのをたまたま彼は観ていた。それによればドロロという生き物はタヌキに似た動物だと言われていたのだが、彼の目の前に突然現れた中年男性の左胸には手書きで『ドロロ』と書かれた名札がついていた。彼が黙っていると、その中年男性は少しニヤついた顔で「驚いたか?」と聞いた。すると彼は「何か御用ですか?」と聞き返した。「いや、御用とかじゃなくて。驚いただろ?」と聞くと、彼は「ええ、まぁ。」と答えながらビールを一口飲んだ。あまりにあっさりとした彼の態度に、その中年男性の方が戸惑ったようで、「俺があのドロロだぞ。」と念を押すように言うが、「あ、はい。名札ついていますね。」と彼は答えるだけ。その中年男性が「いや、だから…。」とつぶやきながら頭を掻き、少し考えた後に自分の携帯電話を取り出して彼に渡し、カメラを自分に向けるように言った。彼が言われたようにカメラを向けると、そこに中年男性の姿は写し出されていなかった。彼がシャッターボタンを押すと、「そうじゃなくて。」と言いながらドロロは携帯を取り返した。「知ってるよね?」とドロロが聞くと、「あ、はい。昨日テレビでやっているのを観ました。」と彼は答えた。ドロロは少し間をとってから、「その時、俺はお前の部屋にいたんだぞ!」と尻上がりに声を大きくして言うと、「あ、はい。いらっしゃいましたね。」と彼が答えたので、ドロロは「えぇ…、初めてのパターン…。」と溜め息まじりに声を漏らした。どこか諦めたかのような顔をしながら、「じゃあ、昨日気付いていたのに何も言わなかったのか?」とドロロが聞くと、彼は「嬉しそうにテレビを観ておられたので、邪魔しないでおこうかと思って。」と答えた。ドロロは少し赤面した。「いつからだ?いつから俺に気付いていたんだ?」とドロロが尋ねると、「いつから気付いていたと言うか、中2ぐらいのときに、街中を歩いておられるのを見たのが初めてで、それからちょくちょくお見かけしていました。」と彼は淡々と答えた。ドロロは悲しいような悔しいような微妙な顔をした。彼は何か申し訳ない気がしてきて、「他の人達には見えていないみたいだったので、最初はビックリしましたよ、すごく。」と補足したが、ドロロはもう次の言葉を失っていた。彼はさっき買った缶ビールとチーズかまぼこを差し出した。ドロロは軽く会釈してそれを受け取り、ちびちびと食べながら、話し始めた。純粋な子供ではなく荒んだ大人を相手にしている為に登場時のリアクションが芳しくないこと、血気盛んな若者に恐喝されそうになったり、警察官に職務質問されたりしていること、名札をつけているのも色々と考えた結果であること、昔はもう少しスリムだったがそういうストレスによる暴飲暴食でメタボリックになったこと、いっそタヌキだった方がキャラクター的にも良かったんじゃないかと思うこと、自身の心がどんどん荒んできていることなど、ドロロは押さえ込んでいた心情を、まるでダムが決壊したかのように次々と吐露していった。

 

気が付くと、彼はもういなかった。ドロロはチーズかまぼこのビニール包装を小さく丸めてゴミ箱に捨て、缶ビール片手に、公園の隅に植えられた木々の闇に消えていった。

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